ひっかかりごと。

日常生活で引っかかったことを綴ります。

難しい顔をして悩んでいた子供の頃の自分は、正しかった

私は子供の頃、眉根に皺を寄せて難しい顔をしていたことが多かった。写真を撮る時、おかしくもないのに「笑って」と大人に言われることが嫌だった。

何に対しても懐疑的で、人を心から信じることができなかった。学校が嫌いで、早く家に帰って一人でのんびりしたいと思っていた。

学校の先生がよく口にする「みんな」という言葉が嫌いだった。「みんな」という言葉は、一人一人の生徒を一つの大きな塊にする言葉に思えてならなかった。「みんな困ってるよ」と言っている本人が実は困っているのに、実態のない「みんな」に責任を押し付けるのは卑怯じゃないのか。

当時は、学校に馴染めない自分を「悪」だと思っていた半面、学校なんて取るに足らないものだとも思っていた。嫌っていたけど、その価値は渋々認めていた。だって、大人の言うことはやっぱり「絶対に」正しいと思っていたから。

でも、今は「絶対に」正しいことなんて存在しないのだと思っている。価値観や常識は時代や場所が変わればコロコロ変わってしまう。普遍的な価値観って実はないんじゃないか。

子供の頃親しんでいたヒーローも、「正義」の名のもとに「敵」と認識した奴らをバッサバッサとなぎ倒していく傍若無人な連中に今は思えてならない。正義って何なのか。絶対的な正義が存在するというのだろうか。個人的に、「正義」とはマジョリティ・あるいは強者の意見であって、マイノリティや弱者の意見ではないと思う。

アンパンマンは町の「みんな」を困らせるバイキンマンをアンパンチで容赦なく排除するけど、バイキンマンはばい菌としての使命を全うしているだけだ。だけどアンパンマンはバイキンマンの事情を慮ることは一切しない。「邪魔者は叩き潰すのみ」なのだ。

自分の思う正義を絶対視している単細胞なヒーローよりも、「正義なんて知ったこっちゃないけど、とにかく自分の邪魔になるやつはやっちゃうよ」というスタンスのデッドプールみたいな「アンチ・ヒーロー」の方が今の私にはしっくりくる。

「正義」は一つではなくて、人の数だけ「正義」がある。絶対的なものではなく、相対的なものだ。「何が何でも、この信条だけを守り抜く!」と一つの思想に傾倒するのではなく、その都度自分にとって何が正しいのか、立ち止まって考えてみる。何事も心の底から信じてしまうのではなく、常に懐疑心を持ち続けること。

難しい顔をしてうんうん毎日考えて悩んでいた子供の頃の自分の姿は、実は正しかったんじゃないかと今は思っている。