ひっかかりごと。

日常生活で引っかかったことを綴ります。

『聲の形』を読みました。人の弱さと強さ、何度でも対話し続ける勇気。

『聲の形』は、日本語の生徒さんに教えてもらって知った。アニメ・マンガ大好きな若い彼らは、むしろ私より日本のサブカルに詳しい。

いじめがメインテーマである本作は、決して読んでいて気持ちの良いものではない。昔の自分の嫌な体験もフラッシュバックしてきて、正直辛かった。でも、『聲の形』の登場人物たちの弱さや脆さ、そして強さが愛おしいと思った。

この作品は耳の聞こえない少女・西宮硝子をめぐる元クラスメート達の物語である。主人公の石田将也は小学校に転向してきた彼女を退屈しのぎにいじめるのだが、彼女をいじめていたせいで、今度は自分がいじめられることになる。いじめられてはじめて他人の痛みがわかるようになった将也だが、覆水盆に返らず。傷つけてしまった硝子の心の傷は、生半可なことでは癒せない。

子供は、大した理由もなくいじめに走ることが多いと思う。それは、自分こそが世界の中心で、他人にも心があると考えが及ばないせいだと思う。私も子供の頃にそうだった。自分の言動が人を傷つけるとは露ほども思わず、注意されて初めて「悪いことをしたな」と反省したことがある。この世の中は自分中心に回っているわけではなく、自分は世界に対してちっぽけな存在でしかないのだと悟ったら、私は自分の言動で人を傷つけるのが怖くなった。

 『聲の形』には、石田将也以外にも様々な「しくじり」を抱えたキャラクターが登場する。西宮硝子をサポートしようとしたけれど「点数稼ぎ」と陰口を叩かれて登校拒否になった佐原みよこ。硝子を憎み、好意を寄せる将也にも素直になれない植野直花。内心硝子を快く思っていなかったのに、自分は決していじめに加わっていないと主張する川井みき。いじめられた過去を晴らすことに執着する、真柴智。

作者の方も同じことを言っていたけれど、どちらかと言えば私も佐原さんが好きだ。彼女もいじめを受けて引きこもってしまったが、高校生になった今では、どんなこともしなやかに受け止める強さがある人だから。

高校で初めて石田将也の友達になる三枚目の好青年・永束君に加えて、硝子の妹の結弦も結構好きだ。最初は自称・硝子の彼氏として登場したボーイッシュな彼女は、障害のある姉を持つがゆえに、強くならなきゃと人一倍頑張る。男の子みたいな格好も姉を守りたいがゆえ。動物の死骸の写真を撮るのが趣味な中二病的なイタイ子かと思いきや、実はそれにも深い理由があったりする。(鳩の死骸のあった部分が空白になった写真は、深い意味がありそうで気になった。映画『アメリカン・ビューティ』の、少し偏執的で病的な少年を思い出した。)唯一結弦が自分の弱さをさらけ出せるおばあちゃんが亡くなってしまったシーンは、こっちも泣いてしまった。

硝子と結弦のお母さんは、最初は「感じわりいキツいババアだな」と正直思ったけれど、その突っ張ったところも我が子を愛するゆえの愛のムチみたいなものだったんだなとわかったら、めちゃくちゃ感情移入してしまった。本当はとても優しい人なんだろうけど、優しさだけでは生きていけないと身を以て知ったのだろう。

将也のお母さんは、見た目はちょっと派手だけど、エグいいじめをしていた子供の親とは思えない、朗らかで優しい人。うちの母親は硝子たちの母と将也の母を足して2で割ったみたいな人だから(普段優しいけど、怒ると般若になる。)、この作品に出てくる母親像にはリアリティがあった。

いじめには巻き込まれたくないけど自分の体面は保ちたい担任教師も、あるあるですね。でも、この教師もそれだけではないところもいい。

 人の心の傷を癒やすのは生半可なことではないけれど、それでも諦めずにいじめてしまった硝子と対話を続ける将也の姿が印象的だった。どうせわかりあえっこないと諦めてしまうのは簡単だ。だけど、少しでもわかりあいたいと望むなら、相手と向き合うことから逃げてはいけない。それは決して簡単なことではないけれど、逃げてしまえば永遠に過去と和解することはできない。言葉で話せないのなら、手話がある。手話でも通じなければ、何度でも向きあえばいい。

『聲の形』は、ぶつかり合いながらも、人と心を通わせるための勇気を与えてくれる作品だ。