ひっかかりごと。

日常生活で引っかかったことを綴ります。

『溺れる花火』愛と執着は表裏一体。

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 最近読んだマンガ。『ヒメゴト』と同じ作者の作品。

短い作品なのでさらっと読めたけれど、作品の内容はとても重い。

「溺れる」と「花火」という言葉の組み合わせが絶妙だ。

黒い夜の海に艶やかな花火の像が、ゆらゆら煌めく姿が思い浮かんだ。

(以下、あらすじと感想です。ネタバレがお嫌な方はパスしてくださいませ。)

 

主人公の泳太には、高校時代からつきあっている恋人小秋がいる。

彼女は病弱で、いつも入退院を繰り返している。だから二人はまだプラトニックな関係だった。

儚げで弱々しい少女。泳太はそう思っていた。でも本当は彼女もしたたかでずる賢い、生身の体と欲望を持った一人の女だった。

そんな彼女の欲望を炙り出すきっかけとなったのが、小秋の従姉・夏澄と泳太との出会いである。夏澄はどことなく小秋に雰囲気が似ていた。

夏澄は泳太に近づき、童貞の彼に女の体の味を教える。泳太はすぐに、夏澄の豊満な体に夢中になる。「夏澄は小秋の代わりなんだ」と言い聞かせ、行為の間には小秋の名を呼んだ。

若い泳太は、いくら理性で欺こうとしても体の欲望がどうしようもなく疼いてしまう…。この男の子の生理現象を描く様が妙にリアルだった。作者は女性らしいけれど。

快楽に溺れ、本当の愛がわからなくなる。プラトニックな関係じゃいられない?セックスなしに愛することができない?本当に好きなのはその人の心?体?昔恋愛する中で、私も一度は考えたことだ。(どうでもいいけど、セックスなしの恋愛よりありの方が相手との結びつきを強く感じるのは私だけだろうか。プラトニックも悪くないけど、若い時の恋愛ってやっぱりセックスありきだと思う)

この作品に登場する人は、皆が皆エゴの塊だ。

「自分だけを見てほしい」

「自分だけを愛してほしい」

そう思うあまりに人を傷つけ、そして自分自身も傷つける。

「ここに出てくる女性、皆嫌いです」といった感想を書いていた人もいた。

私も好きじゃない。でも何で嫌いなのかといえば、自分の中にある醜い欲望を直視させられている気分になるからだと思う。

 誰もが「自分だけを特別に愛してほしい」と渇望している。

そのぽっかり空いた心の深淵は、永遠に満たされることがない。求めれば求めるほど渇いていく。

 叶わない想いは、相手を破滅させることでしか成就できない。

愛って結構厄介なシロモノだ。

バラ色の柔らかいイメージを持った愛も、裏を返せばドロドロおぞましい執着でしかない。

愛で平和になるなんて嘘ですと小池龍之介さんもおっしゃっていたけれど、まさにその通りだ。愛ゆえに人は争い憎み合い、狂っていく。

『溺れる花火』は、恋愛のダークな部分をまざまざと描いてみせた名作だ。

ドロドロしたストーリー展開と相反した、繊細なタッチと綺麗な絵柄も好印象。

後味は決してよくないけれど、ぜひ少しでも気になったら読んでみてくださいね。