ひっかかりごと。

日常生活で引っかかったことを綴ります。

クロード・シャブロル、「La cérémonie 沈黙の女/ロウフィールド館の惨劇」の感想。

昨日、クロード・シャブロルの「La cérémonie」のDVDを図書館で借りて観た。

邦題だと「いかにもこれから事件が起きますよ」と半ばネタバレ感があるけど、原題のLa cérémonie (セレモニー)は抽象的な分何が起きるのかはっきりせず、衝撃的なラストまで緊張感を保つことができるように思った。(原作の小説のタイトルは「ロウフィールド館の惨劇」らしいけれど。)

ディスクレシア(識字障害)を持つソフィが小金持ちのブルジョア家庭に家政婦として雇われるのだが、彼女は雇い主に障害があることをひた隠しにしている。そんな彼女は、郵便局員として働くジャンヌという同年代の女性と仲良くなる。

決して裕福とはいえずテレビも買えないジャンヌと、字が全く読めないソフィ。

大きな家と暖かい家庭とテレビのあるルリエーブル一家。

持つ者と持たざる者の断絶。

社会階級の違いは、この作品の主要テーマでもある。

ネタバレを言えば、ラストでルリエーブル一家はソフィとジャンヌに猟銃で惨殺される。

雇い人に殺されるなんてさぞかしひどい一家だったのだろうと思うのが普通だけど、ルリエーブル一家は感じが良く教養もあり、人に恨まれるようなタイプではまったくなかった。彼らが悪い連中ではなく、ごくまっとうな人たちであったところが、この作品のぞっとする怖ろしい部分だと思う

では、そうして善良な市民である一家は殺されなければならなかったのか。

彼らを殺した責任は、社会階級の断絶にあるのだと思う。

ジャンヌ役を演じた女優さん(イザベル・ユベール)も語っていたけれど、二人の少女たちもまた、ある意味で犠牲者なのだ

環境に恵まれず貧しさの中で生きていくしか術のない彼女たちは、上の階級の人間を憎むことしかできない。

上の階級に属する人間が手を差し伸べても、その手を握りしめるどころか振り払ってしまう。

自分たちのものの見方しかできないから、「あいつらは、どうせ私を馬鹿にしているんだ」としか思えない。

人の良い上流階級の一家もまた、相手に感謝されると思ってやっているから、逆ギレされる意味がわからず、ぽかんとしてしまう。

人は結局、自分の価値観の中でしか物事を判断できないものなのかもしれない。

 

私はどちらかというと、人の良い一家に同情してしまった。

ソフィやジャンヌの野蛮な行動は見ていて目に余ったし、他人に恩をアダで返す様子がどうも感じ悪いと思った。まるで大きな子供みたいだし。

だけどそれは、私の価値観が一家に近いからなのだろう。うちは特に裕福ではないけど私もそれほど不自由なく育ったので、持たざる者の苦しみは実感としてわからない。

お互いに理解し合えないことは悲しい。

好意の行いが誰かを傷つけてしまうことさえある。

世の中には理解し合えないことの方がむしろ多いけれど、でもやっぱり、希望だけは持っていたい。