ひっかかりごと。

日常生活で引っかかったことを綴ります。

故人や過去が美化されることを、少し寂しく思ったり。

 事件が起こっても、そうそう落ち込んでばかりいてもいけない。

まるでジョジョのディオが「ザ・ワールド」で時間を止めたことに気づかなかったモブキャラみたいに、パリの人たちは平然と何事もなかったように暮らしている。

(物々しい見回りの警官や、建物に入る前の荷物チェックは別だけど。)

その強かさは悪くない。

人間、どんな状況でもナーバスになり過ぎちゃあいけない。

どうせ皆いつか死ぬのだから、少しでも楽しく生きないともったいない。

 

 

最近、忌野清志郎のエッセイを読んだ。

 

2009年に亡くなったことが記憶に新しい。

(というか、私は忌野清志郎世代ではなく、亡くなった後彼の音楽を聴くようになったのだけど。)

当時ワイドショーでずっと忌野清志郎の特集を流していた。

ロック歌手であってもメロウな音楽がバックに流れ、皆しんみりした顔になる。

亡くなった有名人は皆、一様に神格化されるものだ。

だけどエッセイを読んで、追悼特集では絶対に取り上げられないような彼の人間くさい側面を感じた。

いいともの客はブスでノリが悪いだとか、迷惑とわかっていて大晦日に友達夫婦の家に邪魔したとか、可愛い女性ダンサーユニットを囲ってハーレムにしたいだとか、混浴で女のおっぱいが見えてラッキーだとか、言いたい放題でびっくりした。

追悼特集では絶対に語られることのない部分に触れることができて、なぜか感動した。

有名人や悲惨な事件・事故で亡くなった人は、往々にして美化される。

それは人間の良いところでもあるのかもしれないけど、私はちょっと寂しく思っちゃうのだ。

記憶に残される美しい部分だけじゃ、何か物足りない。

その人そのものじゃないから。

こてこてのラーメン二郎が食いたいとか、中の下の女と寝たいとか、自分よりちょっと劣る奴と飲んで自分の方が優れていると確認したいとか、そういうみみっちい欲望は篩にかけられてなかったことにされてしまう。

そういうことにこそ、人間の面白みはあるのに。

追悼特集を見た故人は、「こんなの俺(私)じゃない!」って思ってるかもしれない。

放っておけば、どんどん過去を美化する人間の勝手な脳みそ。

私はその便利な機能に、ちょっとだけ抗いたい。