ひっかかりごと。

日常生活で引っかかったことを綴ります。

子供がちょっとばかり苦手な理由。

私は決して子どもが嫌いなわけではないけど、どちらかといえば大人の方が好きだ。(そりゃ、もちろん子どもは可愛いと人並みに思う。無責任に可愛がれる立場なら。)大人は(形だけの人もいるけど)とりあえず他者への思いやりがあり、突然大声を出さないし、人に迷惑をかけないし、嫌なことがあってもめったに泣き出さないし、平和で穏便に生きる術を身に着けているから。

どうして私は子どもがちょっと苦手なのかといえば、それは今「子ども」をしている子たちに罪があるのではなく、おそらく子どもだった自分が嫌いだからだと思う。

無知なくせに自分が世界で一番賢いとでも思っていて、傲慢でわがままで、大人を馬鹿にしていて、自分に対する大人の努力を汲み取れなくて、大人が自分に尽くしてくれるのが当たり前だと思っていた嫌な子どもだったのだ。確かに無垢だったけど、イノセントゆえに平気で人を傷つける言葉を吐いていた。(ああ、お父様・お母様、本当にこんなクソ生意気なガキを育ててくれてありがとう!)

写真で見る私は(自分で言うのもなんだけど)可愛らしく邪気のない笑顔を浮かべたあどけない子供だけど、その実中身はとんでもないモンスターだったのだ。(だから『思ひ出ぽろぽろ』のヒロインの子供時代のリアルな悪ガキぶりは、まるで自分を見ているみたいに感じる。人のよさそうな大人になった主人公とのギャップも真実味があっていいなと思う。)

私には、子ども時代に帰りたいという人の気持ちがまったく理解できない。学校生活や家庭で居場所がなければ誰にも頼れないし、一人で生きていくこともできないし、恋人をつくることだってできないし、狭い世界の不条理な規則に縛られているし(校則とか親の言うこととか)、一人で遠くへ行くこともできないし、世界がとっても広いことを知らないし、とにかく親の愛にすがって生きていくことしかできないか弱い存在にまたなりたいなんて、気がふれているとしか思えない。その代わり責任はないけれど、子供になるくらいだったら責任を背負い込んで生きる方がずっとましだ。

太宰治は「子供より親が大事、と思いたい。(・・・)何、子供よりその親の方が弱いのだ。」なんて『桜桃』で言っているけれど、確かに子どもはその「弱さ」ゆえに誰よりも「強者」になることができるのだとも思う。

私が好きなのは『大人はわかってくれない』みたいな残酷で凶暴な子供の無垢さではなく、犬や馬のような優しい無垢さなのだ。私の夫は人間離れした穏やかな馬のような無垢さがあるので、私は好きになった。(そんなこと言うと夫を馬鹿にしていると叱られそうだけど、むしろ私にしては最大限の賛辞なのだ。誰かのために尽くし誰かをまっすぐに愛するという点では、人間は犬や馬に敵わないと思う。彼は絶対、前世で人間じゃなかったはずだと勝手に信じている。)

だけど、子供は子供の時期があるからちゃんとした大人になれるんだろうな、とも思う。しつけはしっかりして欲しいけど、子供らしさも今のうちに存分に発揮して、将来まともな大人になれよ、と現役の子供たちに言いたい。だから赤子が電車で泣き喚いても我慢してやるぜ。将来うちらを支えてくれよな!(ちなみにフランスは出生率が高くて子供が多いから、日本より子連れに寛容かも)

将来自分の子供を持てば、私の子供観もひっくり返るかもしれない。人生どうなるかわからない。将来の楽しみにとっておこうと今は思っている。