ひっかかりごと。

日常生活で引っかかったことを綴ります。

無理なもんは無理なのだ。下手に関わるより無視をしろ?!

世の中いろんなことがあり過ぎるからこそ、あえて鈍感になることも必要なのだと思う。すべてを引き受けて逐一反応していたらキリがない。それに、いつか自分を見失ってしまいそうだ。

例えば、動物園の動物は可哀想、と昔思ったことがあるけれど今はなんの感情も抱かない。むしろ動物園は好きでたまに行きたくなる。人間の拵えた不自然な空間なのかもしれない。それでも、私の胸が痛むことはない。私が胸を痛めても動物になんの益もないし、第一動物だって実は動物園の暮らしをそれなりに楽しんでいるのかもしれない(あるいは、『バケツでごはん』みたいに仕事として割り切っているのかも)。可哀想に思うことは素晴らしいことのように見えるが、「可哀想に思う私って何て清き心の持ち主なのっ!」という自己陶酔を感じてしまう(まあそれは言い過ぎかもしれないし、本当に動物のことを憂いている心のやさしい人も必ずいるんだろうけれど)。

また、パリに行くと凄まじい物乞いの数に驚く。電車に乗っている時や道を歩いている時に彼らは現れ、私にお金を無心する。私は何度か、いいなと思う演奏をした路上ミュージシャンに小銭をあげたことはあるが、それ以外に渡したことはない。私がドケチなのもあるが(給料だって大したことないのに物価は高いし)、働かずに稼げてしまう社会はいかがなものかと思うからだ(ミュージシャンの時は、演奏という代価を受け取っているので)。

でも、彼らを無視した時にほんのすこし良心が痛む。性格の悪い私は、こちらが悪いことをしていないのに、と思って嫌になる。いや、悪いことをしていないとは言い切れないのかもしれないけれど、その人の人生を背負いきれないなら下手に関わることのほうが悪なのだと心理学者のアドラーも言っている。

きっとアドラーの言うように、私達は関われることと関われないことをある程度線引して生きていくべきなのかもしれない。私にはちっぽけな体一つしかないのだから、キリストみたく世界の苦しみを一人で背負うことなんて不可能だ。だけど、自分が関わっていることについては、出来る限り心を注ぎたいと想っている。だからとりあえず、夕飯の片付けをしようかなあ…。