ひっかかりごと。

日常生活で引っかかったことを綴ります。

投げ飛ばされても受け身で踏ん張る。

 私たち日本人にとって、日本語を話したり聞いたり書いたりするのはごく当たり前なので、その「当たり前」をそうじゃないものとして改めて考えることはなかなか難しい。

私は既に何回か日本語の授業をしてきたけれど、日々そのことを痛感している。例えばひらがな一つとっても、外国人は簡単そうな「の」の文字を書くことにも難儀したりする。そういえば子供の頃、私もひらがなを習得するのに苦労したな、と遠い遠い記憶を甦らせて、何とか学習者の立場に立とうとしてみるしかない(私に小さな子供でもいれば、もっとはっきり実感できそうだけど)。

こんな風に、一見簡単そうなことでも、一つひとつのことに立ち止っていくべきなのだ。私は最近そのことがわかってきたけど、以前はそれに思い至らず失敗したことがある。

ワーキングホリデービザでフランスにやってきた時、私は頼まれてフランス人に日本語のレッスンをしたことがある。その頃はまだきちんとした日本語教育のノウハウもなかったので、結果はひどいものだった。私は相手の立場に立ってわかりやすく解説してあげることもできていなかったし、質問にもしどろもどろになってしまった。結局レッスンは数回だけで終わってしまった。彼は新しい先生なり学校なり探すことにしたのだろう。

この経験は私の心に大きなしこりを残し、自分の不甲斐なさに悔しくなった。でも今思えば、この経験があったからこそ、もっと日本語教育について勉強しようと思えたのかもしれない。

マゾヒストっぽいけれど、私はうまくいかなかった経験を有難いとさえ思っている。何も嫌なことや辛いことがなければ、人は考えようとしないから。これは何も仕事に限らず、人生すべてのことにいえると思う。嫌な経験をも自分の糧にできるようになったら、もう何も怖くない。

・・・いや、嘘。やっぱり怖い。でも、投げ飛ばされても受け身がとれるようになれば、そこまで傷ついたり落ち込んだりすることはないと思うのだ。受け身をとるのも楽じゃないけど、とり続ければ受け身自体うまくなっていくだろうし。

投げ飛ばされることさえも楽しめるようになれば、人生すごく楽しいだろうな。そう考えられるようになった私は、きっと確実に昔より成長している…と思いたい。