ひっかかりごと。

日常生活で引っかかったことを綴ります。

自分と宇宙。ミクロとマクロ。

私は地球上のすべての人を愛することができないし、事故や事件に巻き込まれた人を気の毒だと思うけれど、次の瞬間にはそのことを忘れて呑気に笑っていたりする。

井上陽水の『傘がない』じゃないけれど、人は結局他人の悲劇よりも、差していく傘がないことや明日デートで着ていく服装なんかの方がずっと重要だったりするのだ。


傘がない - 井上陽水 - YouTube

私もそのことを悲しく思ったことがあるけれど、今ではそれでいいんじゃないかと考えている。だって、博愛主義なんて現実には無理だもの。

そして私はむしろ、一人の人を真摯に愛する方がずっと大切なのではないかと思う。

 

ビッグバンのときには、すべては同時でした。それを考えると、十万億がとなりの部屋の仏壇にあるという隠居の説明は、正しいのかもしれません。

(『マンガ落語大全 笑う門には福きたる』高信太郎著、講談社α文庫、2013年) 

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これは、『浮世根問』という落語の解説にあった一文です。物知り隠居にハっつあんが素朴な疑問をぶつけていくというお話なのですが、「十万憶土の向こうにあるという極楽はどこにあるのか」としつこく詰め寄るハっつあんに、「これが極楽だよ」と隣の部屋の仏壇を見せるという件について述べているのです。

私はこれを読んで、なかなか哲学的だと思いました。そしてあれこれ考えた後、ピンと閃きました。「一人の人を深く愛することは、人類全てを愛するのと本質的には同じなのではないか」と。世界はビッグバン以前に一つだったのなら、世界の一部である誰かを愛することは、世界全体を愛することと等しいのではないでしょうか。

ミクロがマクロに、マクロがミクロに。私は割とこの考え方が好きです。何か息づまったときは物事をマクロに考えて「そんなこととるに足らないや」と思い、壮大な風景に感動した時は、たった一人の愛する人のことを思い出す。

自分は宇宙の一部であることを再確認し、ちょっと嬉しくなる瞬間です。